YOSHIMI裁判いっしょにアクション!
「吉見裁判」とは、中央大学の吉見義明さんが、日本維新の会の桜内文城衆議院議員(当時)を名誉毀損で訴えた裁判です。

2015-09-23

講演会:一橋祭シンポジウム「日本軍『慰安婦』問題とどう向き合うのか」開催のお知らせ

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一橋祭シンポジウム
日本軍「慰安婦」問題とどう向き合うのか
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 日本社会では、日本軍「慰安婦」問題に対する誤
った認識が、広く流布されています。日本の侵略戦
争を露骨に肯定する議論に加えて、最近では、リベ
ラルを装いながら「慰安婦」の実態を歪曲する言説
も登場しています。このように歴史修正主義にもバ
リエーションがあるのです。
 このシンポジウムでは、こうした歴史修正主義に
対して、最新の研究成果に基づいて丁寧に反論して
いきます。一緒に「慰安婦」問題とどのように向き
合うのかを考えましょう。

【日時】
2015年11月1日(日)13時〜(12時半開場)

【会場】
一橋大学西キャンパス本館26番
(JR中央線「国立駅」徒歩12分。当日は混雑が予    
測されます。お早めのご来場をお願いします。)

 *予約不要。無料です!!
 *一橋大学の学園祭の一企画です。

【講演】
(1)吉田裕(一橋大学大学院教授)
「『慰安婦』問題と日本人の歴史認識」

(2)小野沢あかね(立教大学教授)
「『売春婦』なら被害者ではないのか?
 ―「慰安婦」問題からみた日本社会」

(3)吉見義明(中央大学教授)
「『慰安婦』問題とは何か?」

【主催】
YOSHIMI裁判いっしょにアクション


吉見裁判 第8回口頭弁論&報告集会 参加記

吉見裁判第8回口頭弁論
参加記
2015713日(月)、東京地方裁判所103号法廷において、第8回口頭弁論が開かれた。今回は、被告側証人の秦郁彦氏と原告本人の吉見さんの尋問が行われた。結審目前の尋問ということもあってか、猛暑のなか100枚の傍聴券を求めて約200人が抽選に臨んだ。また、開廷前にはマスコミの撮影も入るなど、地裁での大詰めを迎えつつある吉見裁判に対して、社会的な関心が高まっているように思う。
書面・書証類の確認の後、両人の宣誓を経て、まず秦氏の証人尋問が行われた。

―秦郁彦氏証人尋問―
<被告側主尋問>
主尋問では、秦氏の研究歴や「慰安婦」問題との関わり、吉見さんとの関係、吉田清治氏の著作に対する私見などが確認されたのち、20136月に放送された吉見さんとのTBSラジオ対論が引き合いに出され、秦氏の「慰安婦」問題に対する認識が証言された。
秦氏は「慰安婦」問題の本質として次のふたつを挙げた。①官憲による組織的な強制連行はなかった。犯罪や命令違反によって強制連行のような形になったものはあくまで例外。②「慰安婦」たちが慰安所で働いている時の生活条件は性奴隷と呼べるほど過酷なものではなかった。②に関連して、そうした女性たちを性奴隷と呼ぶことは、それをひとつの職業と割り切って働いていた女性に対する人格的侮辱になるとも述べた。さらに秦氏は、吉見さんが提示する性奴隷制の「4つの要件」(「居住の自由」、「外出の自由」、「接客拒否の自由」、「廃業の自由」の欠如)について、「慰安婦」には居住以外の自由が認められており、「高収入」も得ていたと主張、「慰安婦」を性奴隷と呼ぶことは実態に合わないことを誇張・歪曲した「ねつ造」であると述べた。
加えて秦氏は、自身の最近の文章(「3点セット―韓国の慰安婦事情19452015」『正論』524号、20158月号)を挙げて、韓国には朝鮮戦争・ベトナム戦争から最近に至るまで日本軍と同じような「慰安婦」が存在しており、その期間も規模も日本軍より大きいと述べる。こうした他国との比較作業が歴史家の任務であるとまで言うが、その言が日本軍「慰安婦」制度を相対化する方便でないことを切に願うばかりである。
続いて秦氏は、自身の著作などに対する批判について弁明したのち、1943年の文玉珠さんの事例を挙げて「慰安婦」が「高収入」であったことを最後に重ねて強調した。

<原告側反対尋問>
反対尋問では、まず秦氏の奴隷制認識が問われた。原告側は奴隷制条約(1926年)を挙げて、奴隷=単純な所有権の対象とは定義されていないことを指摘したが、秦氏は、奴隷=所有権の対象であり、「慰安婦」は軍の財産として登録されていないので奴隷とは言えないと述べた。この理解が現在の国際法の水準に達していないことは前回の口頭弁論の内容を見れば明らかである。秦氏は「高収入」を理由に「慰安婦」は奴隷ではないとするが、これも同様に国際法理解の水準に達していない。
さらに原告側は、秦氏も「証拠能力」を認める米軍の捕虜尋問調書などの資料に基づいて、「4つの自由」(前出)それぞれについて秦氏の認識を問い質していった。秦氏は、原告側が提示する慰安所規則の条文や「慰安婦」の置かれた実態それ自体については、概ね事実として受け入れた。だが秦氏は、軍隊や戦場という条件を強調したり、「慰安婦」の証言の信憑性に疑問を呈したりして、あくまで「慰安婦」には自由があったと主張した。例えば、泥酔した兵や暴行を働く兵の慰安所利用を制限した規則はあくまで軍の慰安所運営上の論理なのだが(つまり「慰安婦」が自由に拒否できたわけではない)、秦氏はこれを「慰安婦」に「接客拒否の自由」を認めたものと見る。また、外出についても、許可制を定めた規則を、現代日本の職場も同様であるとして、自由を認めたものとみなす。むしろそれが慰安所外の危険(ジャングルの虎やゲリラなど)から「慰安婦」たちを守ることになったとも述べた。廃業についても、秦氏は借金の返済が大前提であることを認めながら(つまり借金を返済しない限り自由に廃業できない)、返済後に廃業できるならそこに「廃業の自由」が認められていると強弁する。このように、秦氏は原告側の提示する「慰安婦」の実態を、ことごとく「慰安婦」の自由を認めたものと読み替えた。だが、それぞれの自由を明確に認めた慰安所規則などを具体的に例示したわけではない。
最後に原告側は、秦氏が自著(『慰安婦と戦場の性』)のなかで、公娼制度を「『前借金の名の下に人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない二〇世紀最大の人道問題』〔廓清会請願書の引用〕にちがいなかった」と評価して、その延長に「慰安婦」制度を位置付けていることを指摘した。これに従えば、秦氏は「慰安婦」制度も「奴隷制度」と捉えているはずだが、不可解なことに、秦氏は請願書を引用はしたがそれに同意したわけではないと述べて、自著の論理展開を否定した。

―原告本人(吉見さん)尋問―
<原告側主尋問>
主尋問では、まず吉見さんの研究歴、著作・論文、「慰安婦」問題との関わり、被告発言に接してから提訴に至るまでの経緯などが確認された。吉見さんは、「ねつ造」という文言は歴史家に対する最大の侮蔑的な発言であり、その発言が記者会見という場で衆議院議員によってなされたことによって深く傷ついたと述べ、それが紛れもなく名誉毀損にあたることを改めて証言した。
次いで資料に基づいて、慰安所は軍が作った軍の施設であることが確認され、そこに入れられた「慰安婦」たちは「4つの自由」(前出)が剥奪された無権利状態に置かれて、性の相手を強制される性奴隷状態にあったことが具体的に明らかにされていった。その内容をまとめておこう。
居住は特定の建物に制限されていた。「慰安婦」には、戦地に赴いて軍人の性の相手をしなければならないという如何なる法的義務もなく、憲法上の兵役の義務に拘束される兵士や、法律によって拘束される従軍看護婦、慰安所外に居住できた業者や営外居住が認められていた職業軍人などと同列に論じることはできない。逃亡防止のため外出は許可制であった。現代のサラリーマンは、勤務時間外や休日には自由に外出できるので、それと同一視はできない。接客は、憲兵がいる場合には泥酔した兵・暴行する兵を拒否できたが、憲兵がいなければ拒否できず、また、泥酔していない軍人や暴力を振るわない軍人はいかなる場合も拒否できなかった。廃業には軍の許可や経営者の同意が必要で、かつ前借金の完済や契約期間の満了が大前提だった。
また、秦氏が言う「高収入」についても、報酬を受け取っていない女性が多かったこと、業者による搾取があったこと、現地のハイパー・インフレによって軍票の価値が低下していたこと、送金や引出に関する諸制限が設けられていたことを挙げ、「慰安婦」たちは総じて生活困難であったと指摘した。
そのうえで吉見さんは、「慰安婦」=軍の性奴隷という見解はこのような実証的研究から得られた結論であって、決して「ねつ造」ではないと証言した。そして最後に、政治家が学問領域に介入して根拠もなく研究を「ねつ造」だと言うことが、学問の自由に対する侵害につながる危険性を裁判所に訴えた(吉見さんの主張の詳細はYOいっション発行『日本軍「慰安婦」制度はなぜ性奴隷制度と言えるのかPartⅡ』を参照されたい)。

<被告側反対尋問>
反対尋問では、まず記者会見とそこでの被告発言に対する吉見さんの認識について質問がなされた。また、会見時の通訳が「ねつ造」を“incorrect”(不正確)と訳したことから、被告発言は名誉毀損とまで言えないのではという質問もあった。被告側は、「これ」が吉見さんの著作ではなく「慰安婦」=性奴隷ということを指すという(被告の主張の)方向に吉見さんを誘導し、裁判の争点を「ねつ造」や名誉毀損の論証から「慰安婦」=性奴隷をめぐる学説論争にすり替えようとしていたようだが、吉見さんは裁判の争点はあくまで「ねつ造」発言による名誉毀損であると反論した。
次いで前回同様、桜内被告本人が尋問に立った。被告は、吉見さんの「4つの要件」について、4つすべてを満たした時に性奴隷と言えるのか、それともひとつでも該当すればそうかと質問した。吉見さんは、基本的な自由が剥奪されていることが奴隷制の重要な指標であり、その意味で接客拒否と廃業の自由の剥奪がより本質的な要件だと応答したが、被告はそれを不明確な基準だと攻撃した。さらに「高収入」や「自由意思」就業(と被告がみなしたところ)の事例を挙げつらい、これらは4要件を満たしていないので性奴隷とは言えないと主張した。
もはや質問ではないが、こう攻撃することで、被告は「4つの要件」を満たさない例外を吹聴して吉見さんの主張を揺さぶり、性奴隷制の4要件を解釈あるいは学説という次元の問題にすり替えようとしていたようである。対する吉見さんは、4要件は国際法上の奴隷制の定義にも合致しており(この点は前回の口頭弁論で阿部浩己さんが証言した)、ゆえに「慰安婦」制度はシステムとして紛れもなく性奴隷制であり、(仮に部分的に当てはまらない例外があっても)そこに組み込まれた女性は総じて性奴隷状態に置かれたと言える、と論破した。
被告側の尋問は全体として準備不足の感が否めず、場当たり的に質問を繰り出している印象を受けた。「『これは既にねつ造』というわずか数文字を捉えてこのような大訴訟を起こすことは、大人気ないことだと思いませんか?」という、もはや質問とは呼べない暴言が出るあたりに、それがうかがえよう。

(一事務局員)

第8回報告集会参加記

弁論後、中央大学駿河台記念館に場所を移し、18時過ぎから報告集会が開催された。
今回はゲストとして北原みのりさんをお招きし、吉見さん、YOいっション共同代表の吉田裕を交えてセッションが企画された。セッションでは、当日の裁判の内容、秦氏の論調の傾向や矛盾点、今後の裁判の見通しなどが話題となった。なかでも印象深かったのは、北原さんが、「慰安婦」を性奴隷と呼ぶことは働いていた女性に対する人格的侮辱だという秦氏の見解を取り上げたことであった。北原さんが指摘したように、一見すると個人の主体や人格を尊重するような、ともすると社会にもすんなりと受け入れられやすい主張である。だが同時に、そうした「わかりやすい」装いのもとに、過去の歴史を美化・修正する危険性を孕んだ言説でもあると思う。
縷々述べたように、本裁判の争点はあくまで「ねつ造」発言による名誉毀損如何である。「慰安婦」制度が性奴隷制か否かをめぐって双方の主張が真っ向から対決した今回の弁論を通じて、吉見さんが「ねつ造」などしていないことがより明確になったと言えるだろう。

次回弁論は105日午後3時から東京地裁で開かれる。地裁での結審・判決は間近だが、弁護団が指摘するように、被告側の姿勢に鑑みて裁判自体今後も続く可能性が高い。それ以上に、「慰安婦」問題に対する日本社会の歴史認識を問い直していくという課題に終わりはない。今後とも一層のご支援・ご理解をお願いしたい。

(一事務局員)

吉見裁判 第7回口頭弁論&報告集会 参加記

吉見裁判第7回口頭弁論
参加記

2015420日(月)、東京地方裁判所103号法廷にて第7回口頭弁論が行われた。従来通り開廷前に傍聴券の抽選が行われ、約180人が抽選に臨んだ。今回、そして次回と、いよいよ本人および証人尋問の段階に入り、吉見裁判も地裁での山場を迎えている。
1330分開廷。裁判長の交代(新裁判長は原克也氏)に伴う更新手続き、本人・証人の宣誓を経て、まず阿部浩己さん(神奈川大学)に対する証人尋問に移った。

―阿部浩己さん証人尋問―
<原告側主尋問>
主尋問は、阿部さんの意見書(甲69号証)に沿って、奴隷制に関する国際法上の理解・解釈を確認し、そのうえで日本軍「慰安婦」制度が性奴隷制度と言えることを明らかにする方向で進められた。
まず、国際法において奴隷制を最初に定義した奴隷制条約(1926年)第11項が示され、奴隷制かどうかを判断する国際法上の法規範は、今日まで一貫してそれであることが確認された。さらに、そこでの定義―「奴隷制とは、所有権に伴ういずれか若しくはすべての権限が行使される者の地位または状態をいう」に対する解釈のしかたが証言された。奴隷制とは、「所有権に伴う権限」の行使によって、人がモノを全的に支配するのと同じように、人が人を全的に支配し、人の自由や自律性を重大なやり方で剥奪することである、と。
続けて阿部さんは、国際機関の報告書や国際法廷の判例を挙げながら、現在の国際法の世界では上記の解釈が定着していることを述べ、さらに、どのような「所有権に伴う権限」が行使された場合に奴隷制が成立していると判断されるのかを証言した。具体的には、移動の支配、物理的環境の支配、心理的支配、力による威嚇又は強要、残虐な取扱及び虐待、セクシュアリティの支配、強制労働などに着目し、それらが「所有権に伴う権限」の行使に該当するかどうか検討することによって判断されるという。
以上を踏まえて、吉見さんの『従軍慰安婦』に登場する「慰安婦」が、国際法的に性奴隷制と言えるかどうか、最後に確認された。同書の記述には先に挙げたような様々な支配・強要・虐待・強制などが見られることから、「慰安婦」は、「人を使用する権限」・「人の使用を管理する権限」・「人の使用から収益をあげる権限」などの「所有権に伴う権限」が行使されている状態に置かれたのであり、性奴隷制と言えることが明らかにされた(阿部さんの主張の詳細についてはYOいっション発行『日本軍「慰安婦」制度はなぜ性奴隷制度と言えるのか』を参照されたい)。

<被告側反対尋問>
反対尋問では、なんと、桜内被告本人がまず尋問に立った。被告は、阿部さんの専門分野や研究歴を引き合いに出したうえで、自身が博士号を取得していることを披瀝し、吉見さんの学歴について皮肉を述べ、また新書は学術的な水準が低く、『従軍慰安婦』も例外ではないと述べた。さらなる個人攻撃というほかはない。
さらに被告は、「慰安婦」問題が表面化したのは1992年以降であるということを阿部さんに確認したうえで、問題化するまでそれほど時間がかかったということは、「慰安婦」=性奴隷というべきものは本来存在していなかったのではないか、吉見さんをはじめとする特定の「勢力」が火をつけたことで問題化した、いわば「政治問題」ではないかと私見を述べた。阿部さんがその場で正しく反論したように、重大な人権侵害では問題が表面化するまでに長い時間を要することがしばしばある。被告の見解は、そうした被害者に思いを致すことのない、独善的な強者の論理であろう。
この後、被告は『従軍慰安婦』の学術的水準や、クワラスワミ報告の「いかがわしさ」について繰り返し疑義を呈した。被告の意図は、これらの「難癖」によって「慰安婦」=性奴隷ということを何とか否定しようとするところにあり、傍聴席に向かって自説を開陳するその姿は、まるで反対尋問の名を借りた「演説」で、裁判長から「質問」をするよう注意されたほどであった。
被告側の弁護士による反対尋問でも、「慰安婦」問題は「朝鮮人が騒ぎ立てたから問題になった」、「日本には歴史上奴隷というものは存在せず、それは日本の誇りである」などといった、反対尋問とは到底言えない、一方的な歴史観の開陳が行われた。彼らは、阿部さんが論理的に説明した「所有権に伴ういずれか若しくはすべての権限」の行使ということ自体も、法曹人として「よく理解できない」と言い、裁判で争点になってきた奴隷制の「4つの要件」(「居住の自由」・「外出の自由」・「拒否する自由」・「廃業の自由」の欠如)についても、基本的な確認を繰り返した。概して被告と同様の歴史観によって「慰安婦」問題と、それが性奴隷制度であったことを否定しようとするもので、阿部さんの国際法的な論理に真っ向から対抗できるような水準の反対尋問ではなかった。

―桜内被告本人尋問―
<被告側主尋問>
休憩を挟んで、桜内被告に対する尋問に移った。若手弁護士による主尋問では、問題となった記者会見での発言の「真意」を確認することに力点が置かれた。いわく、記者会見への同席は518日の党の公約会議の時点で決まっており、そこでは「慰安婦」についても話し合いがなされ、「慰安婦」=性奴隷(sex slavery)という認識が広まることへの懸念から、会見でそれに関する発言が出た場合、被告が制止することになっていたという。被告はそうした任務を帯びて会見に臨んでいたために、司会の発言に対して例の「ねつ造」発言をしたのだ、と。自身の発言の責任を転嫁するために予防線を張ったとでも言えようか。
さらに被告は、記者会見の時点では吉見さんの本を読んでおらず、ゆえに「これはねつ造」という発言は、吉見さんの本ではなく「慰安婦」=性奴隷(sex slavery)を指すのだと主張した。「慰安婦」=性奴隷を「ねつ造」とみなす根拠として、被告は、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』や政府見解などを挙げた。基本的には、発言中の「これ」が「慰安婦」=性奴隷(sex slavery)を指すこと、それを「ねつ造」とする根拠があったことを被告自身に説明させる主尋問であった。

<原告側反対尋問>
反対尋問では、まず発言中の「これ」が「慰安婦」=性奴隷(sex slavery)を指すとする被告の主張について追及が行われた。原告側は、ネット上の反応などを挙げて、「これ」が常識的には吉見さんの著作や『従軍慰安婦』を指すものと理解されていることを示した。これに対して被告は、舌足らず・言葉足らずではあったが訂正の必要はないと強弁した。
そのうえで、原告側は、「慰安婦」=性奴隷(sex slavery)ということを否定し、「国際法上の定義に該当しないのに吉見さんが政治的主張をした」とする被告に対して、阿部さんの国際法理解を基本線に据えながら、被告の「慰安婦」認識を問い質していった。ここでの応答からは、奴隷制条約の理論的解釈や「慰安婦」の生活実態(歴史的事実)についての認識は被告と原告側とで大きなズレはないらしいことが判明したが、それでも被告は「慰安婦」=性奴隷をあくまで否定し、吉見さんの『従軍慰安婦』が恣意的な事実選択をしているとして譲らなかった。ただし、被告自身が史料批判をしたことは「広い意味である」だけだという。
そこで、「慰安婦」=性奴隷の論点となっている「4つの要件」(前出)について、さらに細かく被告の認識が問われた。「慰安婦」=性奴隷を否定するならば、被告はこれらについて自身の「史料批判」に基づいて否定の根拠を示すべきであった。だが、被告は否定の根拠となるような事実(例えば各自由を認めるような慰安所規定の存在)を証言できず、事例によっては例外的な規定が適用されるなどして、そうした自由があったり、収入を得ていたりしたのではないかと自説を披露した。だが、肝心の「個別具体的なことは分からない」という。吉見さんの史料批判や事実選択を批判するわりにはお粗末な「客観的」立論である。もちろん、これら個別具体的な実態を検討したうえで、原告側は「慰安婦」制度=性奴隷制度と主張しているのである。自分の政治的立場を前提として恣意的な史料批判・事実選択をしているのは他ならぬ被告自身であろう。総じて、被告の「慰安婦」=性奴隷=「ねつ造」論の底の浅さ、論理的な不自然さが露呈した反対尋問であった。
最後に裁判所側(左陪席)から、被告に対して、会見時の逐次通訳の内容に関して質問があった。被告は、記憶が曖昧だとしながらも、その訳に違和感は持たなかったと答えた。

(一事務局員)

第7回集会参加記

口頭弁論終了後、中央大学駿河台記念館に場所を移し、18時から報告集会が開催された。今回は、同日に口頭弁論が開かれたニコン裁判(ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判、原告:安世鴻さん)との合同集会で、参加者は約80人であった(以下、吉見裁判関係を中心に記す。ニコン裁判関係は同裁判の支援団体「教えてニコンさん!」のサイトや発行物を参照されたい)。
原告挨拶として吉見さんは、阿部さんの尋問を通じて「慰安婦」制度=性奴隷制度ということが明確になり、被告側の奴隷制理解の誤りが明らかになったと述べた。また、「これ」は吉見さんの本を指さないとする被告の主張に無理があること、「慰安婦」制度=性奴隷制度をねつ造とする根拠を被告が提示できなかったことを指摘し、証人尋問全体を通して被告側のレベルの低さを感じたとコメント。次回の秦郁彦氏の尋問に意欲を見せた。
 弁護団からの報告の後、証人を務めた阿部さんは、反対尋問の感想として、被告側の質問は主観的な思い・感想をぶつけるものばかりで、裁判で応答するに値しない質問が多かったと述べた。また、「慰安婦」=性奴隷を否定する被告側の主張、そしてその背後にある日本政府の同種の立場について、それらは自己の主張を正当化するために都合よく法(国際法)を解釈しようとしていると批判し、「慰安婦」=性奴隷か否かはそうした法的な解釈の問題ではなく、その次元を超えた、法の倫理に関わる問題であると述べた。さらに、その被告側主張の驚くべきレベルの低さに言及し、それが裁判で臆面もなく提示され、また日本社会にも一定程度受け入れられている状況、そうした「知の劣化」状況に対して警鐘を鳴らした。

この「知の劣化」という表現は、吉見さんの挨拶にもあったように、今回の証人尋問における被告側の姿を端的に言い表している。そして「知の劣化」は、阿部さんが言うように、日本社会の「慰安婦」認識・歴史認識に影響を与え、またそれに支えられてもいる。裁判を通じて、「知の劣化」状況を打破し、日本社会の歴史認識を問い直していくことの重要性を改めて痛感させられた口頭弁論であった(もちろん、弁護団報告や質疑応答でも確認されたように、吉見裁判はあくまで名誉毀損裁判で、裁判の主要な争点は「慰安婦」制度が性奴隷制であるか否かよりも、吉見さんの「慰安婦」に関する本が「ねつ造」であるかどうかである。念のため)。

(一事務局員)

2015-09-02

吉見裁判 第9回口頭弁論&報告集会のお知らせ

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吉見裁判第9回口頭弁論(結審予定)
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 DATE:2015年10月5日(月曜日)
 TIME:午後3時〜
 PLACE:東京地方裁判所103号大法廷

★東京地裁アクセス
東京メトロ丸の内線・日比谷線・千代田線「霞ヶ関」駅A1出口より徒歩1分。
有楽町線「桜田門」駅5番出口より徒歩3分

※当日は傍聴券が発行され、抽選が行われる予定です(14時15分集合)。また、直前の急な変更もありますので、お出かけ前にご確認ください。

 吉見義明教授の著書を「ねつ造」と発言した桜内文城元衆議委員議員を名誉毀損で訴えたYOSHIMI裁判は、被告側が「慰安婦=性奴隷はねつ造」と法廷で主張したことを機に、日本軍「慰安婦」制度が性奴隷制度に他ならなかったことを明らかにする裁判になっています。
 今回は、いよいよ結審となる予定です。
 どうか、多くの方が傍聴に駆けつけ、応援して下さい!

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報告集会のご案内
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 DATE:2015年10月5日(月曜日)
 TIME:口頭弁論終了次第、移動して開始
 PLACE:衆議院第二議員会館第一会議室
  (東京メトロ丸ノ内線・千代田線「国会議事堂前駅」1番出口より徒歩5分) 
 参加費:500円

※ スタッフが、議員会館入り口で、入館証をお渡しします(15時45分開場予定)。 
※弁護団と吉見さんから、裁判について報告があります。