YOSHIMI裁判いっしょにアクション!
「吉見裁判」とは、中央大学の吉見義明さんが、日本維新の会の桜内文城衆議院議員(当時)を名誉毀損で訴えた裁判です。

2014-08-31

吉見裁判第4回口頭弁論&報告集会 参加記


*第4回口頭弁論の内容*


 去る519日午後3時より、吉見裁判の第4回口頭弁論が、東京地裁103号大法廷にて行われました。この日も約100席ほどの傍聴席がほぼ満席となりました。

 今回の裁判では、被告側が第2準備書面を読み上げ、それに対して原告側が第4準備書面を読み上げました。今回の被告側の主張をまとめると、1.原告は被告発言を2つのパラグラフに分けて恣意的に解釈している。2.被告の発言は口頭でなされたものだから、ある程度不正確であってもやむを得ず、また、司会者の発言を受けてなされたものであるから司会者の発言の真意も加味して理解されるべきものである。3.「これは捏造」の「これ」については解釈の幅がある。原告の主張どおり「吉見さんという方の本」だとしても、岩波新書の『従軍慰安婦』なのか、その英訳本なのか特定できていない。よって何を指しているのかわからないのだから名誉毀損は成立しない。被告は一貫して「『慰安婦=性奴隷』は捏造である」と主張している。その証拠に被告は発言時には原告の本を読んだこともなかった()したがって、捏造と呼んだのは「慰安婦=性奴隷」という概念であるということでした。


 これに対し、原告代理人の川上弁護士は大きく分けて2つの論点から反論を行いました。1.「これは捏造」の「これ」は通常の日本語読解からすれば「吉見さんという方の本」としか見ることができない。2.「これ」は、岩波新書の『従軍慰安婦』、その英訳本に限らず、会見を見た一般の視聴者は「吉見さん(という学者)の書いた『慰安婦』に関する本全般」であると解釈する。よって「これ」が明確にされていないということはない。したがって、この理由だけで損害賠償を請求するに十分であると改めて説明しました。その上で、今後の裁判進行について被害立証の段階に進めたいとして、被告側の「真実性の証明」がないなら原告尋問へ進みたいと述べました。


 そして、裁判官は被告に対し、「いろんな証拠によって明らかとされております」と言った「いろんな証拠」を証明してはどうかと促しました。続けて裁判官は、「権利侵害なのか正当な言説と認められるのかどうかを判断するためには、『この程度は正当な言説である』という被告の主張の根拠を出してほしいと裁判所としては言わざるを得ない。」として、被告に証拠を示すように求めました。被告はこれに対し「真実性の証明」を行う準備をすると述べ、次回裁判では、被告は主張の証拠を示し、原告は損害立証を行うとして、345分頃に閉廷しました。




*拡大報告集会  −夜のYOいっション− *


  午後6時から豊島区民センターで開かれた拡大報告集会では、まず大森典子弁護士から本日の裁判について説明がありました。大森弁護士によると、「被告の『これは捏造』という発言は、普通の人が普通の注意力をもって聞いていれば、吉見さんの本が捏造に基づいているとしか聞こえないものだが、この間、被告はずっと『これは』の対象は『慰安婦=性奴隷』という概念を指していると主張してきた。しかし今回、『真実性の証明』を求めたところ、これに応じるようであり、裁判進行に少し進展が見えてきた」とのことでした。

 「真実性の証明」とは、「自分は真実を述べている」ということを証明することで、他人の名誉を毀損する恐れがあっても公益のために真実を述べたと認められる場合に限り、損害賠償責任を免れるというものだということでした。大森弁護士は「話は第1回の口頭弁論に戻った」と述べ、被告は、吉見さんの著作に絡めて「慰安婦は性奴隷ではない」と主張してくると考えられるとのことでした。大森弁護士は、続けて、「慰安婦」が性奴隷状態にあったということは、1992年以降、国際的に定着したものであり、国際法研究においても疑いもなく認められていることを考えると、このような裁判をしていること自体が日本の「ガラパゴス」的状況を表していると指摘し、どのような抗弁が出ても「慰安婦」制度は性奴隷制度であるということを明確にするとともに、吉見さんに対して名誉毀損が行われたということを立証したいと強調しました。

  続けて吉見義明さんから挨拶がありました。吉見さんは「この裁判は、いかなる意味でも学術論争にはなり得ない。何より被告は著作を読んでいないのであり、学術論争にならない。またどのような学説であっても、『捏造』であるとか『でっちあげ』であると言うことはない。それは論争から一線を越えるものである。」と、被告が度々主張している「学説の対立に過ぎない」とする反論を批判しました。そして、今や『慰安婦』制度は性奴隷制度だということは国際的な認識であり、これを捏造だと認めれば日本の裁判所が恥をかくだけであると強く述べ、各地で「慰安婦」問題に関わる講演会に招かれていることに触れて、「荒畑寒村のように『慰安婦』全国伝道行商をしていきたい」と笑顔で締めくくりました。




*排外主義・レイシズムとネット社会−「慰安婦」問題を題材に*


 この日は、続けて中西新太郎さんによる講演がありました。「排外主義・レイシズムとネット社会−『慰安婦』問題を題材に」と題されたこの講演では、「慰安婦」問題を焦点とした歴史認識問題が、排外主義・レイシズムへの接近にどのような影響を与えたのかを中心に論じられました。


 中西さんは「ネット右翼」の主張内容は独自に構築されたものというより、「ポスト戦後右翼」の言説に由来することを説明し、1990年代以降、東アジアにおける日本の軍事・経済・政治的影響力の低下が中韓への憎悪に結びつき得たこと、「自虐史観」という言葉の誕生とその典型例としての「慰安婦」問題があることを指摘しました。すなわち、「強制連行はなかった」、「戦争時に売春はつきもの」というように、女性の奴隷的拘束という事態を違う話にすり替え、「自国の歴史に韓国、中国が口を出すのは許せない、反撃すべき」として、「慰安婦」女性が謝罪と補償を求める正当な行為を理不尽な攻撃として見なし、さらに「『特ア』の理不尽な攻撃は、そもそも民族としておかしいからだ」というレイシズムへの回路を開いたことを論じました。


 また、このような「立証」操作を支えてきた右翼言説が昨今のネット言説にどのように絡み合っているのかについて、「ネットde真実」の例を挙げました。ネット上の言説を「真」と見誤り、それを社会に拡散しようとする動きには、「『反日教育』−体制的秩序からの『解放』」としてのインターネットとネット言説があり、拡散者が自身を「反体制」であると錯覚していること、しかし実際にはこうした言説は政治的なサポートを受け、右派政治家との「連携」関係を組み込んでいることを指摘しました。最後に、このような荒唐無稽な保守言説が社会的な位置を占めてきている危機をあらためて考えなければ行けないと締めくくりました。


 質疑応答では、「現在の排外主義やレイシズムは戦後改めて出てきたかもしれないが、戦前から引き継がれ批判されてこなかったテーマではないのか」といった質問が多く寄せられました。これに対し、中西さんは、「過去を清算してこなかったことが今の状況を許しているという歴史的な要因があることは明確」としつつ、「ここ20年くらいの傾向として、新自由主義国家の枠組みの中で右派言説が有効なものとして用いられている特徴がある」と述べ、「事実を事実として認め、共通認識として確定されたものをゆるがせにしてはいけない」と改めて強調しました。




*けっして「学説論争」ではない*


 拡大報告集会には約90名の参加があり、活発な質疑応答が行われましたが、紙幅の関係上すべてをお伝えできないのが残念です。今後もこのような集会が開かれると、この裁判を通じた学びをより広く開いていけると思います。 最後に、今回の裁判において、被告が再三にわたり学説論争の形を演出しようとしている点は看過できません。今回の口頭弁論では、江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」が「ファンタジー」、「珍論」と批判されたことを引き合いに出し、「自身の説が捏造でないと考えるのであれば、学問研究の場で、被告に対し対抗すればよいのである」と主張しました。第2回口頭弁論においても「邪馬台国九州説・畿内説」を引き合いに出しましたが、被告はこの裁判で学説対立を装うつもりなのかもしれません。しかし、吉見さんが報告集会の挨拶で述べたとおり、「捏造」という言葉は学説批判の域を越え、到底許されるものではありません。私たちは今後も被告の主張に注意する必要があると感じました。また、このような主張がまかりとおるような日本社会のあり方、これまで過去清算に向き合ってこなかった日本政府の姿勢も含めて、今後とも追求していくことが重要であるということを改めて実感しました。その意味においても、この裁判のもつ社会的な意義を、より多くの人たちと分かち合いたいと思います。


(一事務局員
)