YOSHIMI裁判いっしょにアクション!
「吉見裁判」とは、中央大学の吉見義明さんが、日本維新の会の桜内文城衆議院議員(当時)を名誉毀損で訴えた裁判です。

2016-10-04

吉見裁判 高裁第2回口頭弁論&報告集会 参加記

東京高等裁判所第2回口頭弁論参加記

 20169615時より、東京高等裁判所101号法廷において、高裁第2回口頭弁論が開かれ、多くの傍聴人が詰めかけた。今回の口頭弁論で東京高裁での手続きはすべて完了し、結審となった。

●控訴人(吉見氏)側陳述
 口頭弁論では、まず控訴人代理人大森典子弁護士による陳述が行われた。まず、大森弁護士は、今回の控訴審において、控訴人は大きく二つの柱に沿って主張を展開してきたことを確認した。一つは、地裁判決の誤りを指摘すること。そしてもう一つは、地裁判決の誤った言葉の理解を是正して、外国特派員協会での会見における桜内氏の発言そのものに即して法を適用すれば、当然に被控訴人(桜内氏)の発言は違法な権利侵害として控訴人の権利救済が認められるはずだ、ということの二点である。
 以上の二つの柱から、地裁判決の誤りはすでに明らかであり、また桜内氏の発言を一般の人の普通の注意と見方を前提に理解すれば、その発言は研究者に対する究極の名誉毀損にあたると述べた。さらに、吉見氏が仮に捏造をしたというのであれば、被控訴人側はその真実性を立証する必要があるが、それが全くなされていないので、被控訴人の発言が名誉毀損にあたり、控訴人に対する被控訴人の損害賠償義務は当然認められるべきだとも主張した。
 最後に、裁判のなかでも被控訴人が控訴人の名誉を毀損する発言を繰り返していることにより、控訴人は一貫して被害を受け続けている。そのため、裁判所はこのような発言が表現の自由のらち外にある、許されないものであることを明確に示すべきだと述べ、陳述を終えた。
 
●被控訴人(桜内氏)側陳述
 次に、被控訴人代理人である荒木田修弁護士による陳述が行われた。荒木田弁護士はまず、控訴人側が期限を過ぎた段階で新たな準備書面を提出したことに対し反論した。その後、①「慰安婦」が性奴隷か否かは裁判所の評価の問題であること、②吉見氏が捏造をしたとするのであれば、その真実性の立証が全くなされていないという控訴人側からの批判に対する反論、③控訴人は被控訴人が主張を歪曲・すり替えをしていると批判しているが、「そのような意図を有したことは一切ないし、その必要もない」という三点について主張を展開した。そして、最後に荒木田弁護士は、「被控訴人の本件控訴は速やかに棄却されるべきである」と述べて陳述を終えた。控訴人側からの追及に対して、何も答えていないに等しい陳述であった。

●控訴人(吉見氏)本人による陳述
 両代理人による陳述のあと、控訴人である吉見氏からも陳述がなされた。吉見氏はまず、『従軍慰安婦』(岩波書店、1995年)が捏造だと断定した桜内氏の発言は、研究者にとって致命的な名誉毀損になると述べた。その上で吉見氏は、これまで日本軍「慰安婦」制度は、軍性奴隷制度であったことを、文書・記録・証言などの史料に基づいて、厳密に実証するという姿勢を貫いてきたのであり、もちろん捏造など一切していないと強く主張した。
 また、桜内氏の発言によって、吉見氏がいかに被害を受け、精神的に深く傷ついてきたのかが率直に述べられた。それにも関わらず、裁判のなかで被控訴人側は吉見氏が捏造をしたとする真実性を全く立証していないこと、さらにはなんら反省することなく、この裁判が「自由な言論を封殺する濫訴」、「SLAPPStrategic Lawsuit Against Public Participation)訴訟」などと歪曲を繰り返していることに対しても強い批判をおこなった。
 最後に吉見氏は裁判所に対して、研究者にとって捏造したと言われることが当人の名誉と人格をどれだけ深く傷つけることになるか、ということをよく理解した上で、論理整合的で公正な判断を要望して陳述を終えた。

●被控訴人(桜内氏)本人による陳述
 最後に桜内氏本人からも陳述が行われた。桜内氏は、まず、控訴人である吉見氏が意見陳述のなかで「私は約5万人以上の女性たちが軍のための性奴隷にされたとは述べていますが、「強制連行された20万人の性奴隷」とはどこにも述べていません」と証言したことに対して、「これは完全な嘘であり、更なる捏造である」と発言した。桜内氏は、控訴人側が提出した『従軍慰安婦』の英訳本の記述をもとにして批判しているようだが、全くの事実誤認といえる。
 その後、原審および控訴審を振り返りながら三点について意見を述べた。一つめは、桜内自身が本人尋問の際に、吉見氏が捏造したとは考えていないという供述をしたと指摘する被控訴人側の主張は「曲解」であること。二つめは、控訴人は「研究者の名誉」をしきりに主張するが、「自らの仮説に都合の良い史料のみをつまみ食いしただけ」であり、「嘘と捏造を繰り返すような者は、断じて「研究者」の名に値しない」ということ。そして三つめは、被控訴人側の主張する「慰安婦=性奴隷」は、国際法上の奴隷要件に合致していないということをあらためて主張した。
 最後に桜内氏は、「あまりに卑劣な控訴人の策謀に、私は、決して屈する訳にはいかない」と威勢のよい言葉を口にした。その上で、「控訴人のような想像もつかない人」が世の中にいるのだということが裁判のなかで分かり、「むしろ感謝申し上げる」とまで発言して陳述を終えた。

高裁第2回報告集会参加記

 東京高裁での口頭弁論終了後、中央大学駿河台記念館670教室に場所を移して報告集会が行われた。報告集会では、共同代表の吉田裕による挨拶のあと、弁護団によって口頭弁論の内容が報告された。また、吉見氏本人からも口頭弁論での感想や今後の意気込みが語られた。
 そして、今回の報告集会では、スペシャルゲストとして小野沢あかね氏をお招きし、「戦前日本政府は性奴隷制をどう否定して来たか」というテーマのもと、報告をしていただいた。小野沢氏は、「「慰安婦」は売春婦(公娼)であり性奴隷ではない」という桜内側の発言に対する反論を述べた意見書(YOSHIMI裁判いっしょにアクション!『日本軍「慰安婦」制度はなぜ性奴隷制と言えるのか PartⅢ』201510月に収録)を東京地裁に提出されており、今回の報告もその意見書の内容を中心としたものであった。それに加えて、吉見裁判地裁判決において性奴隷制の議論に踏み込まない裁判所、あるいは「日韓合意」において性奴隷制という言葉を消し去ろうとしている日本政府への批判も意図していた。小野沢氏の報告は、性奴隷制を認めたがらない日本政府・日本社会の今日の在り方を考えるために、近年の新しい研究成果からも補強しつつ、戦前日本政府による性奴隷制隠蔽の歴史をあらためて検討するという充実したものであった。
 最後に、報告で紹介してきた戦前日本政府による性奴隷制隠蔽の歴史から、いまを生きる私たちがどういう教訓を得られるのかについて三点述べられた。一つは、性奴隷制の存在の隠蔽は、将来に禍根を残すということ。二つめは、女性たちの「自由意思」を強調して、背後の権力関係(親に売られている、前借金によって人身拘束されているなど)を隠蔽した戦前日本政府のやり方は、現在の日本政府にも通ずること。三つめは、そうした性奴隷制に関する認識を深化・拡張していくことの重要性と、その上で吉見裁判が持つ意義について述べられ報告を終えた。

 小野沢氏による報告のあと、「慰安婦」問題に取り組む各団体からアピールが行われた。最後に共同代表の梁澄子による挨拶と、司会から高裁判決に向けてさらなる協力を支援者に求める言葉が述べられ、閉会となった。(事務局)

2016-08-25

吉見裁判 高裁第1回口頭弁論&報告集会 参加記

東京高等裁判所第一回口頭弁論参加記

 2016120日、東京地方裁判所は原告の吉見氏に対して不当な判決を言い渡しました。原判決(地裁判決)は、本訴訟で問題となっている20135月の外国特派員協会における桜内氏の発言(以下、桜内発言)中の「捏造」という言葉について、「誤り」あるい「不適当」ないし「論理の飛躍」という意味に理解できるとした上で、桜内氏は免責したのです。これを受けて、128日に吉見弁護団は東京高等裁判所に対して原判決は全部不服であるとして控訴しました。そして、53115時より、東京高等裁判所101号法廷において、高裁第1回口頭弁論が開かれました。

控訴人(吉見氏)側陳述

 口頭弁論の前半では、控訴人(吉見氏)側が15分の陳述をおこないました。
 最初に、控訴人代理人大森典子弁護団長が法廷に立ち、原判決を全面的に批判しました。まず、大森弁護士は、①一般の人は、「捏造」という言葉を「誤り」「不適当」などと、辞書にも書いていない意味で理解することはありえない、②被控訴人(桜内氏)側も地裁の段階で、「捏造」という言葉について「虚構の事実を捏造し」などと本来の意味で使用しており、控訴人・被控訴人の間には「捏造」の意味をめぐって争いがなかったことを指摘しました。そして、①②にもかかわらず、原判決が吉見氏の請求を棄却したのは、結論ありきで事実認定をおこなったと考えざるを得ないと述べました。その上で、学者がその研究成果を「捏造」といわれることは、学者生命を奪いかねない、究極の誹謗中傷であることをあらためて確認しました。(なお、この点に関連して、控訴人側は、418日に、歴史学者で東京大学名誉教授の木畑洋一氏による「意見書」を東京高裁に提出しています。この「意見書」は歴史研究者の立場から、「捏造」ということが持つ重大性を説得的に論じています。)
 さらに、大森弁護士は、原判決が地裁での原告・被告双方の弁論の内容を踏まえない、いわば「不意打ち」ともいうべきものだったという点を指摘し、控訴人側に十分な主張・立証の機会を保障することを求めました。
 そして、大森弁護士は、本訴訟が当初から国際的にも大きな関心を呼んでいる中で、非論理的な原判決が日本の司法への信頼を揺るがしたことを指摘して、陳述を終えました。
 次に、控訴人である吉見氏が陳述をおこないました。まず、吉見氏は、裁判官が非論理的な判決を平然と書くことに、驚きを禁じえなかったと率直に語りました。その上で、以下のように原判決の不当性を批判しました。まず、研究世界での科学者の研究倫理規定において、「捏造」は許すべからざる不正行為と明記されていること、そして、「捏造」は「存在しないデータ、研究結果等を作成すること」と明確に定義されていることを紹介しました。さらには、地裁第7回口頭弁論(2015420日)において、当の桜内氏が、吉見氏は捏造していないと認めていた事実を指摘しました。また、「慰安婦」は「性奴隷」であるということについて、地裁で吉見氏側は文書・記録・証言を根拠に事実を明らかにしてきましたが、桜内氏側はその論証を崩すことはできなかったと指摘しました。続いて、吉見氏は、桜内発言と原判決によって、大きな被害を受けていることを紹介し、原判決が安易に桜内氏を免責したために、名誉がますます毀損されていることを指摘しました。また、原判決を受けた後に、桜内氏がツイッターで「もう『慰安婦=性奴隷』とは言わせない」などと述べていることを取り上げました。
 
被控訴人(桜内氏)側陳述

 次に、被控訴人の陳述が15分間おこなわれました。
 法廷に立った桜内氏は、原判決を「公正公平」なものとして評価しました。そして、桜内氏は、吉見氏の訴訟は、吉見氏自らに批判的な言説を封じ込めようとする「SLAPP訴訟」であり、この訴訟の目的が「慰安婦=性奴隷」という「自らの政治的主張」を裁判所に認めさせる「政治的意図」からなされたものであると、非難しました。これは、自らの名誉毀損発言の重大性を全くといっていいほど理解していない、極めて不当な発言です。
 さらに、桜内氏は奇妙な議論を展開します。それは、吉見氏が第一回口頭弁論の前に高裁に対して提出した「陳述書」(2016420日)をめぐっておこなわれました。この「陳述書」の中で、吉見氏は、「原判決」が同氏の著作を正確に引用せずに判決を下したことを批判して、「原判決は,「原告が著書に『従軍慰安婦は性奴隷ないし性奴隷制である』と記述しているという事実」と繰り返し述べていますが,そのような事実はありません」と述べています。ここで吉見氏が問題としているのは、誤解のないようにもう一度述べますが、引用の不正確さです。吉見氏の著書(『従軍慰安婦』岩波新書、1995年)には、たとえば、「『従軍慰安婦』とは日本軍の管理下におかれ,無権利状態のまま一定の期間拘束され,将兵の性交の相手をさせられた女性たちのことであり,『軍用性奴隷』とでもいうしかない境遇に追い込まれた人たちである」との記述はありますが、「従軍慰安婦は性奴隷ないし性奴隷制である」との記述は存在しないのです。そのことを、吉見氏は「陳述書」の中で指摘したわけです。
 ところが、桜内氏は、「陳述書」のこの記述を誤って解釈しています。桜内氏は、この記述を、吉見氏が「慰安婦」は「性奴隷」ないし「性奴隷制」であるとの議論をしたことはない、という意味だと解釈します。そして、これは、吉見氏がこれまでに発言してきたこと(たとえば、地裁での原告本人尋問で吉見氏が「私の岩波新書『従軍慰安婦』の中心的な命題の一つは、慰安婦は軍用性奴隷であるということです」と述べたことなど)と「正反対」であるとします。したがって、桜内氏の立場では、「陳述書」の当該部分は、「嘘」ないし「偽り」だということになるわけです。そうした議論をした上で、桜内氏は、控訴人陳述書は信頼性を自ら失わしめていると断言しました。言うまでもなく、これは桜内氏の初歩的な誤読であり、全くの論外です。
 なお、口頭弁論の前日である2016530日、日本歴史学協会、歴史学研究会、歴史科学協議会、日本史研究会、東京歴史科学研究会等の歴史学関係15団体が、「日本軍「慰安婦」問題をめぐる最近の動きに対する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明」を発表しました。この声明では、吉見裁判の原判決を「不当な判決」と批判しています。この声明は、控訴人側を歴史学関係者たちが全面的に支持したものといえます。控訴人側は重要な証拠としてこの声明を高裁に提出しました。ところが、この声明に対して桜内氏は法廷において、「特定のイデオロギーに基づく政党の影響下にある団体が名を連ねている」として、「政治的主張が色濃く反映されたもの」と述べました。歴史学関係15団体はいずれも日本の歴史学を代表する団体で、桜内氏の主張は根拠のない誹謗中傷です。
 被控訴人代理人である荒木田修弁護士も法廷に立ちました。まず、荒木田弁護士は、問題とされている桜内発言は、吉見氏の著作を「捏造」と述べたわけではなく、「慰安婦は性奴隷であるという命題はすでに捏造である」という趣旨だったと解釈できるのであるから、控訴人の名誉を毀損するものでは全くないと主張しました。
 そして、桜内氏に続き、荒木田弁護士もまた、大変奇妙な主張をおこないました。控訴人側は「捏造」という行為の重大性を裁判所に理解してもらうために、証拠として研究上の不正行為などを定めた「東京大学の科学研究における行動規範」を提出していましたが、これについて荒木田弁護士は、「規範」は自然科学の分野に妥当するもので、人文・社会科学分野には必ずしも該当しない、と主張したのです。東京大学をはじめとして各大学で制定されている「規範」は、当然のことながら、人文・社会科学分野をも対象にしたものです。荒木田弁護士の陳述は事実誤認であり、調査不足を露呈したものといえます。
 そして、荒木田氏は、「常識に還れ」(福田恒存の言葉を借りたとのことです)と言い放ち、陳述を終えました。
 以上から、被控訴人側の主張は、論理の破綻を来しているといえますが、それ以前に初歩的な誤読をしていることや、調査不足が深刻であることが露呈しました。

次回期日の決定と報告集会

 両者の陳述終わったところで、裁判所側は今後の進行について協議しました。裁判所側は、主張を尽くすために口頭弁論の開催が必要であるとの控訴人側の意見を容れ、96日(火)に第二回口頭弁論を開くことを決定しました。

 口頭弁論終了後、控訴人側はただちに衆議院第一議員会館に移動して、報告集会を開催しました。報告集会では、口頭弁論の内容が報告されるとともに、高裁での勝利に向けて引き続き取り組んでいくことが確認されました。
                                  (一事務局員)

2016-01-16

吉見裁判 第9回口頭弁論・結審&報告集会 参加記

吉見裁判第9回口頭弁論・結審参加記

吉見裁判は2015105日(月)、東京地裁でのすべての手続きを終え、結審を迎えました。今回は被告側の大々的な傍聴呼びかけがなかったのか、抽選は行われず、希望するすべての人が法廷に入ることができました。それでも大法廷の傍聴席は大方埋まっていました。

●大森典子さんの弁論
まず原告弁護団の大森典子さんが、最終準備書面の内容に沿って原告代理人として弁論を行いました。
はじめに被告桜内文城氏の「ヒストリーブックスということで吉見さんという方の本を引用されておりましたけれども、これはすでに捏造であるということが、いろんな証拠によって明らかにされています」との発言が吉見さんに対する名誉毀損に当たることを明確に説明しました。上記発言の「これは」が、一般の聴取者の普通の注意を基準にしたら、被告が主張してきたように「sex slavery」を指すとは考えられないことを説明し、この裁判の審理の対象が「吉見さんという方の本はねつ造である」という主旨の被告の発言が名誉毀損に当たるか否かという点にあることを強調しました。その上で、「捏造」という歴史学者にとって学者生命にもかかわるような発言が、現職の国会議員によって、しかも多数のメディアが集まる記者会見の場でなされ、その様子がインターネット上で現在も世界に発信され続けている現状の、名誉侵害の深刻さを訴えました。さらに被告が、裁判が始まってからも「『慰安婦=日本軍の性奴隷』という虚構の事実を捏造し、自らの政治主張を世界中にまき散らしている」などの発言を繰り返してきた、その悪質さも指摘しました。
次に被告の「仮に被告の本件発言が被告の意図はどうあれ客観的には原告の著書に言及したものと解されたとしても、原告の著書の中で慰安婦は性奴隷であると断定している部分は捏造である」という主張に対しても、これまでの弁論の過程でしっかりと反論し、被告の国際法上の奴隷概念や「慰安婦」に関する事実認定が誤りであることを実証してきたことを述べ、「捏造」(つまり「事実でない事を事実のように拵えていうこと」)という言葉が吉見さんの本に関して当てはまらないことを論じました。
最後に、今回の弁論に際して提出された被告の準備書面の結論で「本件は学説間の対立の問題に過ぎない」と述べられている点について、この裁判を名誉毀損の事件ではないように演出しようとする被告の苦し紛れの論法としか考えられないと批判し、この裁判の争点が、被告の発言が名誉毀損行為かどうかにあることを確認して、弁論を終えました。

●吉見さんの最終陳述
 続いて吉見さんが原告の最終陳述を行いました。吉見さんもこの裁判の争点が、被告が原告の本は捏造であると述べたことにあることを訴えました。その上で、被告が①被告発言の「これ」は「sex slavery」を指す、②「慰安婦は性奴隷である」という命題のことであると主張を変え、さらには③「原告の著書の中で慰安婦は性奴隷であると断定している部分は捏造である」と言うなど、被告が苦し紛れの言い逃れを繰り返してきたこと、そして、原告側がそれらの被告の主張の破たんを、裁判を通じて証明してきたことを強調しました。吉見さんは、被告が20154月におこなわれた本人尋問の中で、原告代理人から「原告が事実でないと知りながら虚偽の事実を書いたと考えているのか」と質問されて、「そうは考えていない」と答えたことにも言及しました。
次に最終書面の中で被告が、「慰安婦」は性奴隷であると何らかの形で裁判所に言わせようとする政治的目的があるのではないか、本件は学説間の対立の問題に過ぎない、という主張を展開したことに対して、吉見さんは次のように明確に反論しました。前者については被告の邪推でしかないこと、原告側が一貫して裁判の争点は被告の発言が名誉毀損に当たるかどうかという点にあると主張してきたことを述べました。後者については、吉見さんの本を読んだことのない被告が「これはすでに捏造であるということがいろんな証拠によって明らかとされております」と発言したことが「学説間の対立」にはなり得ないという、とても当たり前のことを冷静に指摘しました。
最後に、吉見さんは被告が根拠なく「捏造」との発言を繰り返しながら、言い逃れのために主張を変遷させることによって、吉見さんへの攻撃のみならず、勤務先にまで攻撃が向けられている現状を訴えました。

●被告の最終陳述
次に被告桜内氏の最終陳述がありました。裁判のきっかけとなった自分の発言について、「慰安婦をsex slaveという人がいたらそれに反論する」という「任務」を所属政党から負って出席した記者会見だったこと、吉見さんの本を読んだこともなかったこと、「原告のことなど眼中になかった」ことを語りました。そのうえで、さも自分の功績であるかのように、被告の発言ののち、記者会見場で「慰安婦」を性奴隷と発言する人がいなかったことや、会場に吉見さんのことを気にするそぶりも見られなかったと述べました。そのあとは、「抗議」と称して、原告準備書面の「奴隷条件に関する秦郁彦氏の見解は無知と言うほかはない」という記述への批判に終始しました。名誉毀損で訴えを起こしたのに、他の研究者を「無知」とののしる資格はない、「慰安婦=性奴隷説」によって日本国民の名誉と尊厳を傷つけ、「秦郁彦先生」の名誉を傷つけたとして、謝罪を求めるという内容でした(報告集会の報告参照)。あきれるほどの無反省ぶりと非論理に傍聴席からも苦笑が漏れました。

●被告代理人の最終弁論
最後は被告代理人でした。こちらは、「原告は名誉毀損でも何でもないほんの一言をさも大事件のように扱って、裁判所に慰安婦は性奴隷といわせるという、自分の政治的目的のために利用している」と印象付けをしようと様々な意見を述べるのですが、そのどれもがすでに原告側の弁論で反論されていたり、あるいは証拠もなにもないネット上の単なる噂話を事実かのように語るなど、裁判での弁護士による弁論とは思えないような内容でした。
被告の発言の短さに対して、原告が出してきた準備書面や証書が膨大な量であることを揶揄を込めて指摘したり、(実際は被告が次から次へと主張を変えてきたからこそ、それに合わせて反論を繰り広げざるを得なかったにも関わらず、そのあたりの事実関係を無視して)原告側が次々に主張を変えてきたと指摘してみたり、「慰安婦」が性奴隷でないことが一般的な認識であるにもかかわらず吉見さんなど一部の人間がそれを批判しているのだから、原告一人への名誉毀損ではなく、一般命題への批判に過ぎない、と言ってみたり…原告側の弁論や主張で丁寧に説明し反論してきたことなど一切無視した弁論には驚きを禁じえませんでした。

9回報告集会参加記

閉廷後、場所を衆議院第二議員会館第一会議室へ移動して報告集会を開催しました。
まずは大森さんから今日の結審の内容を振りかえっての説明がありました。結審の法廷の場で判決期日が指定されたことについては、「こういった大きな裁判では『判決期日は追って指定する』と言ってその場で決まらないことが多いので、裁判官3人の中ではすでに判決の大筋が合意されているのでは」と述べました。また、桜内氏は負けたとしても控訴をするだろうから、判決の勝敗にかかわらず、次の裁判を見据えて闘う必要があるとの決意も語ってくれました。
続けて弁護団の一人ひとりから、最終準備書面でのそれぞれの執筆担当箇所についてコメントをいただきました。最終準備書面は『日本軍『慰安婦』制度はなぜ性奴隷制度と言えるのか』PARTⅢに収録されています。1700円(送料・振込手数料別)でお分けしていますので、ぜひお求めください。
はじめに、川上詩朗さんから最終準備書面の大枠の説明と、川上さんが担当した国際法に関する部分の紹介がありました。ここは阿部浩己さんの意見書を基に作成されており、第7回の口頭弁論での阿部さんへの証人尋問同様、国際法上の奴隷概念に照らして「慰安婦」制度が性奴隷制に当たることを的確に指摘しています。
穂積剛さんからは、桜内氏が意見陳述で、原告側が秦郁彦氏について準備書面11の中で「無知」と書いたことに強く抗議し謝罪を求めたことについての説明がありました。秦氏に対する原告からの反対尋問で、「慰安婦」が性奴隷なのかどうかは国際法に照らして判断すると答えた秦氏に、奴隷条約の解釈について質問したところ、専門家として呼ばれたにもかかわらず「それは知らん」と答えたことを「無知」と書いたのであり、不当でも何でもないことを強調しました。
また「裁判の弁論を聞いていて、向こうを支援する人たちはおかしいと思わないのだろうか」というあまりにも当然の疑問とともに、「世の中を右に引き倒すためだったら、事実も論理もどうでもいい。自分の都合のいい結論があって、そこに引き寄せようとしているのだろう。しかもそれが一般の人によってではなく、議員という立場の人間が行ったことがとても問題だ」と指摘しました。
 松岡肇さんは、「この裁判は間違いなく勝訴すると思っているが、最後の最後まで分からないという経験を何度もしてきた」と、長く中国人の強制連行・強制労働の裁判を担当してきた経験から語り、被告弁護団に対しても被告を説得したり訂正したりしないのだろうかと考えてしまうほどで、裁判官も同じように思っているだろうとは思うが、判決が出るまではどこかで用心をしておくことが必要だと、注意を促しました。
武藤行輝さんは、吉見さんの陳述書などを基に書かれた日本軍「慰安婦」制度の実態の部分を担当しました。その中で武藤さんが特に伝えたかった点として、「はじめに」に書いた内容を紹介しました。一つでも例外があれば「慰安婦」制度は性奴隷制度とはいえないという前提に立つ被告側に対する反論を込めて、家永教科書裁判で意見書を提出した永原慶二さんを引用して、歴史的事実はすべての例や事象から総合的に判断することが必要だということを提示して、この点を理解していない被告側が「歴史学の基本的作法を全く理解できていない」という点をはっきりと主張しました。
緒方蘭さんは小野沢あかねさんの意見書(こちらも『日本軍『慰安婦』制度はなぜ性奴隷制度と言えるのか』PARTⅢに収録)を基にまとめられた公娼制度との関係の部分を担当しました。「この裁判を担当して、否定的な意見に対する説得的な反論の方法を整理することができたが、歴史の事実はなかなか知る機会がない」と、司法修習生の集まりで「慰安婦」問題の学習会の講師を担当した時に「慰安婦ってホントにいたんですか」という質問が出たこと語ってくれました。
吉見さんからの結審を迎えての感想の後、質疑応答に入りました。
一つ目の質問は、被告側の「この問題を政治問題化させるために、裁判所に『慰安婦』は性奴隷だと言わせるためにこの裁判を使っている」という陳述についてでした。弁護団からは、被告側は政治運動だと言って、裁判所を恫喝した気になっているのかわからないが、これは論理的な反論でも何でもないので、まともに相手をするつもりはない、裁判所は裁判に提出された証拠に基づいて判例に従って裁くだけなので、このような意見に裁判所が影響を受けることないと考えている、との応答でした。
二つ目も被告側の裁判の論旨とは全く関係のない発言についての憂慮でした。以前の弁論で被告側が「あなた方は慰安婦に関する日本政府の公式見解を知っていますか」と質問したことについて、日本政府の見解を否定する判決を出すのかという恫喝をしていることについてどう思うかというものでした。弁護団からは、判例から考えれば負けるはずのない裁判でも、判決が出ないことにはやはりわからない、しかし、正義は私たちにあると確信しているし、そうではない判決が出たとしてもそれを押し返していく努力を続ける。裁判官が臆してしまうような裁判で大事なのは、多くの方が傍聴に来て、しっかり見ている、この裁判に注目しているということを示すことだ、との意見がありました。

120日の判決へも引き続き、みなさまの傍聴をよろしくお願いします。
                                (一事務局員)

2015-09-23

吉見裁判 第8回口頭弁論&報告集会 参加記

吉見裁判第8回口頭弁論
参加記
2015713日(月)、東京地方裁判所103号法廷において、第8回口頭弁論が開かれた。今回は、被告側証人の秦郁彦氏と原告本人の吉見さんの尋問が行われた。結審目前の尋問ということもあってか、猛暑のなか100枚の傍聴券を求めて約200人が抽選に臨んだ。また、開廷前にはマスコミの撮影も入るなど、地裁での大詰めを迎えつつある吉見裁判に対して、社会的な関心が高まっているように思う。
書面・書証類の確認の後、両人の宣誓を経て、まず秦氏の証人尋問が行われた。

―秦郁彦氏証人尋問―
<被告側主尋問>
主尋問では、秦氏の研究歴や「慰安婦」問題との関わり、吉見さんとの関係、吉田清治氏の著作に対する私見などが確認されたのち、20136月に放送された吉見さんとのTBSラジオ対論が引き合いに出され、秦氏の「慰安婦」問題に対する認識が証言された。
秦氏は「慰安婦」問題の本質として次のふたつを挙げた。①官憲による組織的な強制連行はなかった。犯罪や命令違反によって強制連行のような形になったものはあくまで例外。②「慰安婦」たちが慰安所で働いている時の生活条件は性奴隷と呼べるほど過酷なものではなかった。②に関連して、そうした女性たちを性奴隷と呼ぶことは、それをひとつの職業と割り切って働いていた女性に対する人格的侮辱になるとも述べた。さらに秦氏は、吉見さんが提示する性奴隷制の「4つの要件」(「居住の自由」、「外出の自由」、「接客拒否の自由」、「廃業の自由」の欠如)について、「慰安婦」には居住以外の自由が認められており、「高収入」も得ていたと主張、「慰安婦」を性奴隷と呼ぶことは実態に合わないことを誇張・歪曲した「ねつ造」であると述べた。
加えて秦氏は、自身の最近の文章(「3点セット―韓国の慰安婦事情19452015」『正論』524号、20158月号)を挙げて、韓国には朝鮮戦争・ベトナム戦争から最近に至るまで日本軍と同じような「慰安婦」が存在しており、その期間も規模も日本軍より大きいと述べる。こうした他国との比較作業が歴史家の任務であるとまで言うが、その言が日本軍「慰安婦」制度を相対化する方便でないことを切に願うばかりである。
続いて秦氏は、自身の著作などに対する批判について弁明したのち、1943年の文玉珠さんの事例を挙げて「慰安婦」が「高収入」であったことを最後に重ねて強調した。

<原告側反対尋問>
反対尋問では、まず秦氏の奴隷制認識が問われた。原告側は奴隷制条約(1926年)を挙げて、奴隷=単純な所有権の対象とは定義されていないことを指摘したが、秦氏は、奴隷=所有権の対象であり、「慰安婦」は軍の財産として登録されていないので奴隷とは言えないと述べた。この理解が現在の国際法の水準に達していないことは前回の口頭弁論の内容を見れば明らかである。秦氏は「高収入」を理由に「慰安婦」は奴隷ではないとするが、これも同様に国際法理解の水準に達していない。
さらに原告側は、秦氏も「証拠能力」を認める米軍の捕虜尋問調書などの資料に基づいて、「4つの自由」(前出)それぞれについて秦氏の認識を問い質していった。秦氏は、原告側が提示する慰安所規則の条文や「慰安婦」の置かれた実態それ自体については、概ね事実として受け入れた。だが秦氏は、軍隊や戦場という条件を強調したり、「慰安婦」の証言の信憑性に疑問を呈したりして、あくまで「慰安婦」には自由があったと主張した。例えば、泥酔した兵や暴行を働く兵の慰安所利用を制限した規則はあくまで軍の慰安所運営上の論理なのだが(つまり「慰安婦」が自由に拒否できたわけではない)、秦氏はこれを「慰安婦」に「接客拒否の自由」を認めたものと見る。また、外出についても、許可制を定めた規則を、現代日本の職場も同様であるとして、自由を認めたものとみなす。むしろそれが慰安所外の危険(ジャングルの虎やゲリラなど)から「慰安婦」たちを守ることになったとも述べた。廃業についても、秦氏は借金の返済が大前提であることを認めながら(つまり借金を返済しない限り自由に廃業できない)、返済後に廃業できるならそこに「廃業の自由」が認められていると強弁する。このように、秦氏は原告側の提示する「慰安婦」の実態を、ことごとく「慰安婦」の自由を認めたものと読み替えた。だが、それぞれの自由を明確に認めた慰安所規則などを具体的に例示したわけではない。
最後に原告側は、秦氏が自著(『慰安婦と戦場の性』)のなかで、公娼制度を「『前借金の名の下に人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない二〇世紀最大の人道問題』〔廓清会請願書の引用〕にちがいなかった」と評価して、その延長に「慰安婦」制度を位置付けていることを指摘した。これに従えば、秦氏は「慰安婦」制度も「奴隷制度」と捉えているはずだが、不可解なことに、秦氏は請願書を引用はしたがそれに同意したわけではないと述べて、自著の論理展開を否定した。

―原告本人(吉見さん)尋問―
<原告側主尋問>
主尋問では、まず吉見さんの研究歴、著作・論文、「慰安婦」問題との関わり、被告発言に接してから提訴に至るまでの経緯などが確認された。吉見さんは、「ねつ造」という文言は歴史家に対する最大の侮蔑的な発言であり、その発言が記者会見という場で衆議院議員によってなされたことによって深く傷ついたと述べ、それが紛れもなく名誉毀損にあたることを改めて証言した。
次いで資料に基づいて、慰安所は軍が作った軍の施設であることが確認され、そこに入れられた「慰安婦」たちは「4つの自由」(前出)が剥奪された無権利状態に置かれて、性の相手を強制される性奴隷状態にあったことが具体的に明らかにされていった。その内容をまとめておこう。
居住は特定の建物に制限されていた。「慰安婦」には、戦地に赴いて軍人の性の相手をしなければならないという如何なる法的義務もなく、憲法上の兵役の義務に拘束される兵士や、法律によって拘束される従軍看護婦、慰安所外に居住できた業者や営外居住が認められていた職業軍人などと同列に論じることはできない。逃亡防止のため外出は許可制であった。現代のサラリーマンは、勤務時間外や休日には自由に外出できるので、それと同一視はできない。接客は、憲兵がいる場合には泥酔した兵・暴行する兵を拒否できたが、憲兵がいなければ拒否できず、また、泥酔していない軍人や暴力を振るわない軍人はいかなる場合も拒否できなかった。廃業には軍の許可や経営者の同意が必要で、かつ前借金の完済や契約期間の満了が大前提だった。
また、秦氏が言う「高収入」についても、報酬を受け取っていない女性が多かったこと、業者による搾取があったこと、現地のハイパー・インフレによって軍票の価値が低下していたこと、送金や引出に関する諸制限が設けられていたことを挙げ、「慰安婦」たちは総じて生活困難であったと指摘した。
そのうえで吉見さんは、「慰安婦」=軍の性奴隷という見解はこのような実証的研究から得られた結論であって、決して「ねつ造」ではないと証言した。そして最後に、政治家が学問領域に介入して根拠もなく研究を「ねつ造」だと言うことが、学問の自由に対する侵害につながる危険性を裁判所に訴えた(吉見さんの主張の詳細はYOいっション発行『日本軍「慰安婦」制度はなぜ性奴隷制度と言えるのかPartⅡ』を参照されたい)。

<被告側反対尋問>
反対尋問では、まず記者会見とそこでの被告発言に対する吉見さんの認識について質問がなされた。また、会見時の通訳が「ねつ造」を“incorrect”(不正確)と訳したことから、被告発言は名誉毀損とまで言えないのではという質問もあった。被告側は、「これ」が吉見さんの著作ではなく「慰安婦」=性奴隷ということを指すという(被告の主張の)方向に吉見さんを誘導し、裁判の争点を「ねつ造」や名誉毀損の論証から「慰安婦」=性奴隷をめぐる学説論争にすり替えようとしていたようだが、吉見さんは裁判の争点はあくまで「ねつ造」発言による名誉毀損であると反論した。
次いで前回同様、桜内被告本人が尋問に立った。被告は、吉見さんの「4つの要件」について、4つすべてを満たした時に性奴隷と言えるのか、それともひとつでも該当すればそうかと質問した。吉見さんは、基本的な自由が剥奪されていることが奴隷制の重要な指標であり、その意味で接客拒否と廃業の自由の剥奪がより本質的な要件だと応答したが、被告はそれを不明確な基準だと攻撃した。さらに「高収入」や「自由意思」就業(と被告がみなしたところ)の事例を挙げつらい、これらは4要件を満たしていないので性奴隷とは言えないと主張した。
もはや質問ではないが、こう攻撃することで、被告は「4つの要件」を満たさない例外を吹聴して吉見さんの主張を揺さぶり、性奴隷制の4要件を解釈あるいは学説という次元の問題にすり替えようとしていたようである。対する吉見さんは、4要件は国際法上の奴隷制の定義にも合致しており(この点は前回の口頭弁論で阿部浩己さんが証言した)、ゆえに「慰安婦」制度はシステムとして紛れもなく性奴隷制であり、(仮に部分的に当てはまらない例外があっても)そこに組み込まれた女性は総じて性奴隷状態に置かれたと言える、と論破した。
被告側の尋問は全体として準備不足の感が否めず、場当たり的に質問を繰り出している印象を受けた。「『これは既にねつ造』というわずか数文字を捉えてこのような大訴訟を起こすことは、大人気ないことだと思いませんか?」という、もはや質問とは呼べない暴言が出るあたりに、それがうかがえよう。

(一事務局員)

第8回報告集会参加記

弁論後、中央大学駿河台記念館に場所を移し、18時過ぎから報告集会が開催された。
今回はゲストとして北原みのりさんをお招きし、吉見さん、YOいっション共同代表の吉田裕を交えてセッションが企画された。セッションでは、当日の裁判の内容、秦氏の論調の傾向や矛盾点、今後の裁判の見通しなどが話題となった。なかでも印象深かったのは、北原さんが、「慰安婦」を性奴隷と呼ぶことは働いていた女性に対する人格的侮辱だという秦氏の見解を取り上げたことであった。北原さんが指摘したように、一見すると個人の主体や人格を尊重するような、ともすると社会にもすんなりと受け入れられやすい主張である。だが同時に、そうした「わかりやすい」装いのもとに、過去の歴史を美化・修正する危険性を孕んだ言説でもあると思う。
縷々述べたように、本裁判の争点はあくまで「ねつ造」発言による名誉毀損如何である。「慰安婦」制度が性奴隷制か否かをめぐって双方の主張が真っ向から対決した今回の弁論を通じて、吉見さんが「ねつ造」などしていないことがより明確になったと言えるだろう。

次回弁論は105日午後3時から東京地裁で開かれる。地裁での結審・判決は間近だが、弁護団が指摘するように、被告側の姿勢に鑑みて裁判自体今後も続く可能性が高い。それ以上に、「慰安婦」問題に対する日本社会の歴史認識を問い直していくという課題に終わりはない。今後とも一層のご支援・ご理解をお願いしたい。

(一事務局員)

吉見裁判 第7回口頭弁論&報告集会 参加記

吉見裁判第7回口頭弁論
参加記

2015420日(月)、東京地方裁判所103号法廷にて第7回口頭弁論が行われた。従来通り開廷前に傍聴券の抽選が行われ、約180人が抽選に臨んだ。今回、そして次回と、いよいよ本人および証人尋問の段階に入り、吉見裁判も地裁での山場を迎えている。
1330分開廷。裁判長の交代(新裁判長は原克也氏)に伴う更新手続き、本人・証人の宣誓を経て、まず阿部浩己さん(神奈川大学)に対する証人尋問に移った。

―阿部浩己さん証人尋問―
<原告側主尋問>
主尋問は、阿部さんの意見書(甲69号証)に沿って、奴隷制に関する国際法上の理解・解釈を確認し、そのうえで日本軍「慰安婦」制度が性奴隷制度と言えることを明らかにする方向で進められた。
まず、国際法において奴隷制を最初に定義した奴隷制条約(1926年)第11項が示され、奴隷制かどうかを判断する国際法上の法規範は、今日まで一貫してそれであることが確認された。さらに、そこでの定義―「奴隷制とは、所有権に伴ういずれか若しくはすべての権限が行使される者の地位または状態をいう」に対する解釈のしかたが証言された。奴隷制とは、「所有権に伴う権限」の行使によって、人がモノを全的に支配するのと同じように、人が人を全的に支配し、人の自由や自律性を重大なやり方で剥奪することである、と。
続けて阿部さんは、国際機関の報告書や国際法廷の判例を挙げながら、現在の国際法の世界では上記の解釈が定着していることを述べ、さらに、どのような「所有権に伴う権限」が行使された場合に奴隷制が成立していると判断されるのかを証言した。具体的には、移動の支配、物理的環境の支配、心理的支配、力による威嚇又は強要、残虐な取扱及び虐待、セクシュアリティの支配、強制労働などに着目し、それらが「所有権に伴う権限」の行使に該当するかどうか検討することによって判断されるという。
以上を踏まえて、吉見さんの『従軍慰安婦』に登場する「慰安婦」が、国際法的に性奴隷制と言えるかどうか、最後に確認された。同書の記述には先に挙げたような様々な支配・強要・虐待・強制などが見られることから、「慰安婦」は、「人を使用する権限」・「人の使用を管理する権限」・「人の使用から収益をあげる権限」などの「所有権に伴う権限」が行使されている状態に置かれたのであり、性奴隷制と言えることが明らかにされた(阿部さんの主張の詳細についてはYOいっション発行『日本軍「慰安婦」制度はなぜ性奴隷制度と言えるのか』を参照されたい)。

<被告側反対尋問>
反対尋問では、なんと、桜内被告本人がまず尋問に立った。被告は、阿部さんの専門分野や研究歴を引き合いに出したうえで、自身が博士号を取得していることを披瀝し、吉見さんの学歴について皮肉を述べ、また新書は学術的な水準が低く、『従軍慰安婦』も例外ではないと述べた。さらなる個人攻撃というほかはない。
さらに被告は、「慰安婦」問題が表面化したのは1992年以降であるということを阿部さんに確認したうえで、問題化するまでそれほど時間がかかったということは、「慰安婦」=性奴隷というべきものは本来存在していなかったのではないか、吉見さんをはじめとする特定の「勢力」が火をつけたことで問題化した、いわば「政治問題」ではないかと私見を述べた。阿部さんがその場で正しく反論したように、重大な人権侵害では問題が表面化するまでに長い時間を要することがしばしばある。被告の見解は、そうした被害者に思いを致すことのない、独善的な強者の論理であろう。
この後、被告は『従軍慰安婦』の学術的水準や、クワラスワミ報告の「いかがわしさ」について繰り返し疑義を呈した。被告の意図は、これらの「難癖」によって「慰安婦」=性奴隷ということを何とか否定しようとするところにあり、傍聴席に向かって自説を開陳するその姿は、まるで反対尋問の名を借りた「演説」で、裁判長から「質問」をするよう注意されたほどであった。
被告側の弁護士による反対尋問でも、「慰安婦」問題は「朝鮮人が騒ぎ立てたから問題になった」、「日本には歴史上奴隷というものは存在せず、それは日本の誇りである」などといった、反対尋問とは到底言えない、一方的な歴史観の開陳が行われた。彼らは、阿部さんが論理的に説明した「所有権に伴ういずれか若しくはすべての権限」の行使ということ自体も、法曹人として「よく理解できない」と言い、裁判で争点になってきた奴隷制の「4つの要件」(「居住の自由」・「外出の自由」・「拒否する自由」・「廃業の自由」の欠如)についても、基本的な確認を繰り返した。概して被告と同様の歴史観によって「慰安婦」問題と、それが性奴隷制度であったことを否定しようとするもので、阿部さんの国際法的な論理に真っ向から対抗できるような水準の反対尋問ではなかった。

―桜内被告本人尋問―
<被告側主尋問>
休憩を挟んで、桜内被告に対する尋問に移った。若手弁護士による主尋問では、問題となった記者会見での発言の「真意」を確認することに力点が置かれた。いわく、記者会見への同席は518日の党の公約会議の時点で決まっており、そこでは「慰安婦」についても話し合いがなされ、「慰安婦」=性奴隷(sex slavery)という認識が広まることへの懸念から、会見でそれに関する発言が出た場合、被告が制止することになっていたという。被告はそうした任務を帯びて会見に臨んでいたために、司会の発言に対して例の「ねつ造」発言をしたのだ、と。自身の発言の責任を転嫁するために予防線を張ったとでも言えようか。
さらに被告は、記者会見の時点では吉見さんの本を読んでおらず、ゆえに「これはねつ造」という発言は、吉見さんの本ではなく「慰安婦」=性奴隷(sex slavery)を指すのだと主張した。「慰安婦」=性奴隷を「ねつ造」とみなす根拠として、被告は、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』や政府見解などを挙げた。基本的には、発言中の「これ」が「慰安婦」=性奴隷(sex slavery)を指すこと、それを「ねつ造」とする根拠があったことを被告自身に説明させる主尋問であった。

<原告側反対尋問>
反対尋問では、まず発言中の「これ」が「慰安婦」=性奴隷(sex slavery)を指すとする被告の主張について追及が行われた。原告側は、ネット上の反応などを挙げて、「これ」が常識的には吉見さんの著作や『従軍慰安婦』を指すものと理解されていることを示した。これに対して被告は、舌足らず・言葉足らずではあったが訂正の必要はないと強弁した。
そのうえで、原告側は、「慰安婦」=性奴隷(sex slavery)ということを否定し、「国際法上の定義に該当しないのに吉見さんが政治的主張をした」とする被告に対して、阿部さんの国際法理解を基本線に据えながら、被告の「慰安婦」認識を問い質していった。ここでの応答からは、奴隷制条約の理論的解釈や「慰安婦」の生活実態(歴史的事実)についての認識は被告と原告側とで大きなズレはないらしいことが判明したが、それでも被告は「慰安婦」=性奴隷をあくまで否定し、吉見さんの『従軍慰安婦』が恣意的な事実選択をしているとして譲らなかった。ただし、被告自身が史料批判をしたことは「広い意味である」だけだという。
そこで、「慰安婦」=性奴隷の論点となっている「4つの要件」(前出)について、さらに細かく被告の認識が問われた。「慰安婦」=性奴隷を否定するならば、被告はこれらについて自身の「史料批判」に基づいて否定の根拠を示すべきであった。だが、被告は否定の根拠となるような事実(例えば各自由を認めるような慰安所規定の存在)を証言できず、事例によっては例外的な規定が適用されるなどして、そうした自由があったり、収入を得ていたりしたのではないかと自説を披露した。だが、肝心の「個別具体的なことは分からない」という。吉見さんの史料批判や事実選択を批判するわりにはお粗末な「客観的」立論である。もちろん、これら個別具体的な実態を検討したうえで、原告側は「慰安婦」制度=性奴隷制度と主張しているのである。自分の政治的立場を前提として恣意的な史料批判・事実選択をしているのは他ならぬ被告自身であろう。総じて、被告の「慰安婦」=性奴隷=「ねつ造」論の底の浅さ、論理的な不自然さが露呈した反対尋問であった。
最後に裁判所側(左陪席)から、被告に対して、会見時の逐次通訳の内容に関して質問があった。被告は、記憶が曖昧だとしながらも、その訳に違和感は持たなかったと答えた。

(一事務局員)

第7回集会参加記

口頭弁論終了後、中央大学駿河台記念館に場所を移し、18時から報告集会が開催された。今回は、同日に口頭弁論が開かれたニコン裁判(ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判、原告:安世鴻さん)との合同集会で、参加者は約80人であった(以下、吉見裁判関係を中心に記す。ニコン裁判関係は同裁判の支援団体「教えてニコンさん!」のサイトや発行物を参照されたい)。
原告挨拶として吉見さんは、阿部さんの尋問を通じて「慰安婦」制度=性奴隷制度ということが明確になり、被告側の奴隷制理解の誤りが明らかになったと述べた。また、「これ」は吉見さんの本を指さないとする被告の主張に無理があること、「慰安婦」制度=性奴隷制度をねつ造とする根拠を被告が提示できなかったことを指摘し、証人尋問全体を通して被告側のレベルの低さを感じたとコメント。次回の秦郁彦氏の尋問に意欲を見せた。
 弁護団からの報告の後、証人を務めた阿部さんは、反対尋問の感想として、被告側の質問は主観的な思い・感想をぶつけるものばかりで、裁判で応答するに値しない質問が多かったと述べた。また、「慰安婦」=性奴隷を否定する被告側の主張、そしてその背後にある日本政府の同種の立場について、それらは自己の主張を正当化するために都合よく法(国際法)を解釈しようとしていると批判し、「慰安婦」=性奴隷か否かはそうした法的な解釈の問題ではなく、その次元を超えた、法の倫理に関わる問題であると述べた。さらに、その被告側主張の驚くべきレベルの低さに言及し、それが裁判で臆面もなく提示され、また日本社会にも一定程度受け入れられている状況、そうした「知の劣化」状況に対して警鐘を鳴らした。

この「知の劣化」という表現は、吉見さんの挨拶にもあったように、今回の証人尋問における被告側の姿を端的に言い表している。そして「知の劣化」は、阿部さんが言うように、日本社会の「慰安婦」認識・歴史認識に影響を与え、またそれに支えられてもいる。裁判を通じて、「知の劣化」状況を打破し、日本社会の歴史認識を問い直していくことの重要性を改めて痛感させられた口頭弁論であった(もちろん、弁護団報告や質疑応答でも確認されたように、吉見裁判はあくまで名誉毀損裁判で、裁判の主要な争点は「慰安婦」制度が性奴隷制であるか否かよりも、吉見さんの「慰安婦」に関する本が「ねつ造」であるかどうかである。念のため)。

(一事務局員)

2015-03-18

吉見裁判 第6回口頭弁論&拡大集会 参加記

吉見裁判第6回口頭弁論
参加記

 20141215日(月)午後3時より、吉見裁判第6回口頭弁論が、東京地裁103号大法廷で行われ、約100席分の傍聴席が用意されました。その傍聴券を求めて、約200 人の市民が並びました。第5回に比べて、全体的に年齢層は高めであり、特に被告人側を支援していると思われる人々は中年以上の男性の姿が目立ちました。なお今回は、韓国のKBSテレビが法廷取材に来ていました。当然ながら、韓国でも注目度が高いことが伺えます。今までにない雰囲気があるとすれば、テレビ撮影用の時間があったことでしょうか。では、口頭弁論の様子を簡単に確認していきます。

<原告側の主張>
 今回の口頭弁論の最も注目すべき点は、日本軍「慰安婦」制度と性奴隷制との関係について、国際法に照らして主張したことです。まず、川上弁護士が阿部浩己教授(神奈川大学・国際法)の意見書に基づきまとめた準備書面(6)の要旨を陳述しました。

川上弁護士は、「慰安婦」制度が性奴隷制度であるかは、「慰安婦」の状態が奴隷条約第1条(1)で定める「奴隷制度」の定義に該当し、かつ、被害者が性的な性質をもった行為に関与させられていたか否かによるが、「慰安婦」が性的な行為に関与させられていたことは明らかであることから、問題は、「慰安婦」の状態が奴隷条約上の「奴隷制度」の定義に該当するかにあるとしたうえで、奴隷条約上の「奴隷制度」の概念について、次のように述べました。
1926年に制定された奴隷条約第1条(1)は、「奴隷制度」とは、「所有権に伴う一部又は全部の機能が行使される個人の地位又は状態」と定めています。ポイントの第一は、「地位」だけではなく「状態」という文言が使われていることです。「地位」とは法上の意味であるのに対して、「状態」とは事実上のことを意味しています。「慰安婦」の状態について、法的な意味に限定するのではなく事実状態に着目している点は重要です。ポイントの第二は、「所有権の行使」ではなく「所有権に伴う権能の行使」と書かれていることです。「所有権」とは「物」に対する全面的な支配権であり、通常、自由に物を使用、収益及び処分をする権利とされています。ところで、「人」は「物」を支配することはできますが、「人」を支配することはできません。近代法では、全ての「人」はだれでも独立した人格を有する者として最高の価値を持っているからです。そのため、問われるべきことは「人」に対する「所有権」の有無ではなく「所有権に伴う権能」、すなわち所有権に伴う使用、収益及び処分をする権能の一部又は全部が行使されているかということになります。すなわち、「物」を支配するのと同じように「人」を支配すること、換言すれば、人間の自由・自律性の重大な剥奪をもたらしているかを判断することになります。
このように、「奴隷制度」かどうかは、事実上、ある人の自由や自律性が重大に剥奪されている状態にあるかがポイントです。したがって、仮に被害者が報酬を得たり、人道的な扱いがされていたとしても、それが支配の一形態にすぎないのであれば、奴隷制の本質が損なわれたことにはなりません。また、被害者が置かれている事実上の状態に着目するので、ある人がどのような方法でそのような状態に至ったのかは本質的な問題ではありません。強制連行されたかどうかは本質的な問題ではないということです。
次に、どのような場合に「所有権に伴う一部又は全部の権能」の行使といえるのか。それについて、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所で下されたKunarac事件等を紹介しながら、当該事案ごとに、移動の支配、物理的環境の支配、心理的支配、逃亡を防止し又は抑止するためにとられる措置、力による威嚇又は強要、期間、排他性の主張、残虐な取扱及び虐待を受けること、セクシュアリティの支配、強制労働などの「徴証」の有無が参考になることを指摘しました。
 そのうえで、原告である吉見先生の著書『従軍慰安婦』に書かれている「慰安婦」の置かれていた状態について、これら「徴証」に照らして検討した結果、これまで述べてきた「性奴隷制度」の要件を充たすことを明らかにしました。
 その後、被告の国際法上の主張への反論を述べた後、最後に、被告は、原告が「慰安婦」制度が性奴隷制度でないことを知りながら、性奴隷制度であると拵え、でっち上げた(ねつ造)と主張しているが、国際法上も、また国際社会の言説状況に照らしても、「慰安婦」制度が性奴隷制度であるとされており、原告もそのように確信していたこと、したがって、原告がその著作の中で「慰安婦」制度が性奴隷制度であると述べていることに関して「ねつ造」したとの被告の主張がいかに荒唐無稽な主張であるかは明らかであると述べました。

川上弁護士についで原告側の緒方弁護士が、準備書面(8)の前半部分について陳述しました。その内容は、被告側の様々な弁明にもかかわらず、この記者会見で被告が述べた、「吉見さんという方の本を引用されておりましたけれども、これは捏造である・・」という文章は吉見さんの本が捏造である、としかうけとれない内容であること、この発言でも名誉毀損として内容が特定されており、名誉毀損は成立すること、仮に被告が吉見さんの本を読んでいなくても名誉毀損は成立すること、などの点を丁寧に説明しました。
 ついで、大森弁護士が、被告の陳述書に関連して、その論理の飛躍と根拠のなさを陳述しました。被告は最近の朝日新聞の記事訂正問題で、女性たちを「慰安婦」にするために強制連行したという吉田清治の証言が虚偽として取り消された以上、強制連行はなかった、したがって「慰安婦は性奴隷」ではない、原告の「慰安婦=性奴隷」という主張はその根拠を失ったのだから、原告がこの虚偽の事実を捏造したことが白日のもとに晒された、
とのべています。しかし、そもそも原告はいかなる意味でも吉田清治氏の証言を自分の研究において使用したことはなく、被告のような強制連行がなければ「慰安婦」問題はなかったかのような議論にくみしたこともない、ということをのべ、いかに被告の論理がデタラメなものかを陳述しました。
 なお準備書面(7)は、口頭では陳述されませんでしたが、原告がいかにその研究において高い評価を得てきたか、それに対して被告の行動はいかに深く原告の名誉を傷つけたかについて詳細に述べたものでした。

<被告側とのやり取り>
 次に被告側代理人は、桜内氏の本人尋問と秦郁彦氏の証人申請を行いました。これに対して、秦氏を証人として採用するかどうかについて、やりとりが行われました。
 被告は、秦氏を尋問しないのであれば、阿部浩己氏を尋問する必要はないとの考えを述べたのに対して、裁判長は、吉見先生の著書に阿部論文が引用されていることを指摘し、阿部氏の尋問は問題ない旨述べました。そのうえで、被告代理人に対して、尋問の趣旨に関して、「慰安婦」制度が国際法上性奴隷制度ではないことを明らかにする旨記載されているが、国際法学者でない秦氏が適格なのか疑問を呈しました。そして、陳述書が提出されないことには秦氏の証人採用を判断できないことから、秦氏を尋問するのであれば310日までに陳述書を提出するよう述べ、それを受けて316日に進行協議を行うことを決めて、この日の弁論は終わりました。

 <今後の予定>
 316日に代理人による進行協議が行われます。次回の期日は420日(月)午後130分から103号法定で阿部浩己教授の証人尋問と被告本人尋問が予定されています。

(一事務局員)


6回集会参加記

 第6回口頭弁論が開かれた1215日午後4時、東京地裁では日本軍「性奴隷」制度に関わる、もう一つの重要な裁判の弁論があった。フォトジャーナリストの安世鴻さんがニコンを提訴した裁判(以下「ニコン裁判」とする)の第9回口頭弁論である。そこで、吉見裁判支援の「YOいっション」と安世鴻裁判支援の「教えて! ニコンさん」は、この機会に合同で「拡大報告集会」を開催することにした。
同日午後 6:00、文京区民センター2A 会議室で「安世鴻さんと吉見義明さんがいっしょにアクション」拡大報告集会が始まった。まず、「教えて!ニコンさん」の永田浩三さんがはじめのあいさつに立ち、昨今の「慰安婦」バッシングや表現の自由を巡る問題、そして両方の裁判の重要性などポイントを絞って述べた。

n   弁護団の報告
 次に両弁護団の裁判報告が行われた。まず、吉見裁判からは大森典子弁護士が第5回までの裁判経緯を述べ、当日行われた第6回の裁判の焦点である日本軍「慰安婦」は性奴隷制であるか、という論点について説明した。最後に、この日の裁判・報告集会に合わせて作成した、「YOいっション」発行の冊子『日本軍「慰安婦」制度はなぜ性奴隷制度と言えるのか』を紹介し、次回以降の裁判内容の予告を行った。
 続いてニコン裁判の弁護団の李春熙弁護士が、提訴の理由と、当日の弁論について述べた。概要は以下のとおり。2012521日、新宿ニコンサロンで開催される予定だった中国に残された日本軍「慰安婦」を題材にした写真展が、突然中止通告を受けた(「重重~中国に残された日本軍朝鮮人元『慰安婦』写真展」)。それに対して、写真家安世鴻さんは、東京地裁の施設使用を命じる仮処分決定のもと写真展を開催し、このことは社会の大きな反響を呼んだが、ニコンは、その後も中止通告は有効であり写真展には協力できないという態度を変えず、大阪ニコンサロンで予定されていたアンコール展は開催に至らなかった。原告である安世鴻さんは、ニコン側の突然の中止通告とそれに続く写真展への協力拒絶行為に対し、債務不履行にあたるとともに、写真家としての社会的評価を著しく低下させ、人格権を侵害するものであって、不法行為に該当するとして訴訟を起こした。(一部抜粋「ニコン『慰安婦』写真展中止事件裁判とは」://oshietenikon.net/about/2015年3月6日最終閲覧)

n   ライフワークとしての「慰安婦」問題
 続いて本日のメインイベントである吉見義明さんと安世鴻さんの対談が行われた。「慰安婦」問題の実態を追求し、事実を発信し続ける吉見さん、被害女性たちについて、写真を通じて伝え残そうとする安世鴻さん。コーディネーターの岡本有佳さんが、それぞれのライフワークと熱い思いを引き出していった。
 安世鴻さんは、199625歳のときに「ナヌムの家」を訪れ、初めて「慰安婦」問題を知った。しかし、その頃は「何かする」わけでもなく、あまり「芯」がないような写真を撮っていた。2005年に吉見先生の著書を読んでから、何を伝えるべきかがわかり、現在に至ったという。社会問題以外にも、韓国の伝統文化の写真展をやっている。一方、吉見さんは、毒ガスの研究をしている際に、「慰安婦」制度を知るようになり、本格的に研究をするようになった。

n   学生時代
 現代社会において、問題が混迷している「慰安婦」の問題に取り組んでいる写真家—言い換えれば社会派—の安世鴻さんだが、高校時代は、数学と物理が得意な典型的な理系で、社会と国語が不得意だったそうだ。他方で、吉見さんは、社会と国語が得意で、数学と物理が不得意だったそうだ。思わず「うん納得!」と言いたくなる。もちろん、高校時代の得意不得意で人生が決定するわけではないが、お二人の過去と現在のお仕事の関係性を知ることができた貴重な機会であった。

n   裁判の原告となること
 弁護士には悪いが、できるなら裁判に関わる状況は避けたい。そう思うのは私だけでないだろう。それでも、原告になり、たくさんの労力を割くのはなぜだろうか。改めて聞きたいことに、お二人は誠実に答えてくれた。
 安世鴻さんは、写真は撮る対象と撮られる対象が互いに相互関係を持っているもので、一種のコミュニケーションであると述べた。そして、被害女性たちの存在は、写真家だけ語っているのではなく、その先にいる人々に対して伝えたいと思っているため、写真展を開催する意味がある、と述べた。裁判の原告になった理由は、そういった「語り」が抑圧されたら、自分以外の人々も表現ができなくなってしまう状況に黙っていられないし、このような空間を守るためにも、「慰安婦」被害者のことを伝えるためである。最後に、「それぞれの役割とそれぞれの場所で行い,シナジー効果を持っていけば、問題の解決も早まるだろう」と問題解決の糸口についても触れた。
 吉見さんは、「橋下知事の発言」や現政権への批判があり、さらに,桜内議員のような「ねつ造」という発言には黙っていられないし、これに対して何もしなければ、研究者生命の終わりを意味している、と述べた。一人の力は弱いけれど、多くの人が集まれば問題は理解されるだろう。日本の普通の人々の民衆意識についてもしっかりと考えていいかなくてはいけない。それは、戦争中の民衆意識、戦後の民衆意識などについて同様であるとし、自身の問題意識と裁判の意味を述べた。

n   質疑応答
 続いて、会場からの質問にそれぞれが答えた。まずは、「被害女性の声を聞いたときの気持ちを教えてください」という質問に吉見さんは、歴史資料としては了解していたが、実際に被害者(金学順さん)がいたことが衝撃であったと答えた。また、被害者が名乗り出る事で、世界に問題が共有されたため、昨今話題になっている吉田証言はあまり大きな影響力はなかったことも付け加えた。
 安世鴻さんへは、被害女性の写真を撮ることについて質問がされた。安さんは、当初は男性であるため「恥ずかしい」思いもあり、また、ハルモニのことをよくわかっていなかったと語った。そのため、実際に会ったら頭が混乱し、表面上の写真しか撮っていなかった。それから3年ほどボランティア活動をして、頭ではなく、心で感じるようになり、それから写真が変わったと、現在のように、ハルモニたちに寄り添う写真が撮れるようになった経緯を丁寧に語った。

n   集会に参加してー日本の右傾化と両裁判の意義
 吉見裁判は、今の潮流の代表のような存在である桜内元議員を相手取った裁判である。その相手側の陳述書は、論点ぼかしや精密さに欠ける点がある。なによりも誠実さにかける態度に、日本の傾きを感じないわけにはいかない。さらに、被告側は「吉田証言が撤回されたから『慰安婦』問題はなかった」などという、根拠も論理もない発言を法廷で行っている。それらも含め、日本軍「慰安婦」制度の実態を法廷で明らかにする意義は大きいだろう。
 他方で「表現の自由」を保障しているニコンは、安世鴻さんの作品をすばらしいと言っているそうだ。そのために、ニコン裁判はある意味で難しい裁判とも言える。また裁判所も中立を装いながら、世の中の右傾化の流れに逆らえないでいる可能性もある。以上のようなことも含め、当たり前のことを当たり前とする判決がでることが大事である。
 拡大報告集会は、「慰安婦」をめぐって司法がどのような判断をし、日本社会がどうそれらを受け止めて、今後の問題関心へと継続させていくのかを再考させ、「慰安婦」の姿を見えなくさせないためにも、事実をねじ曲げる風潮に対して、わたしたちは何ができるのか?を双方の裁判・お二人の経験から学ぶものであった。今後は、これらを受けて私たちがどれだけ自分のこととして、それぞれの持ち場で、解決を図る行動が可能か、問われている。

(一事務局員)